公務員と組合


久しぶりのBlog更新である。総選挙が公示され、投開票まであとわずかとなってきた。今回の選挙は年金や医療の問題が最大の焦点となっている。その中で、社会保険庁の問題が注目されることは、ある意味当然であろう。


社会保険庁の問題というのは、社会保険庁の職員が故意あるいは過失により年金記録を改ざん又は消失させた問題を指すのだろう。自民党政権は、その処方箋として社会保険庁の解体と日本年金機構の設立という策を示した。共同の記事にあるように、この措置は懲罰的な意味合いが強い。そして、その効果は2つである。1つは、既に重い懲戒を受けた職員を年金業務に携われなくすること。もう1つは、自治労系の組合をつぶすことである。


finalvent氏は社会保険庁問題は「組織の問題」としているが、これはすなわち「組合の問題」という理解なのではないかと思われる。国鉄民営化以来、日本の行政改革の裏の課題は公務員の組合をいかにつぶし、弱体化するかという点にあった。これは、組合系の野党の弱体化を推し進めるという自民党の選挙戦略にそのまま合致しているし、一方で公共サービスの質が低いことが実際上組合のおかしな活動(本来禁止されているストライキを実施することをはじめ、社会保険庁で問題になっている利用者不在の窓口対応や過度のOA機器操作制限等)に由来していたから、サービスの改善を図る上でも必須だと考えられてきた。


今回の社会保険庁問題についても、公務員を非公務員化することの意義は、公務員の組合を一旦つぶすことにある、と考えられる。しかし同時に、日本年金機構の職員が非公務員である以上、通常の労働者としての労働組合を設立することが可能になるはずであるし、当然、これまで認められていなかったストライキなども合法に行えるようになるのではないか。そのような状況を招来することは、実際に組合の影響力を減じることにつながらないのではないか、という疑問は残る。


一方、社会保険庁が解体されずに、職員の地方公務員ではなく国家公務員としての身分が保持されるのであれば、国家公務員の集まった組合という形になるのだろうが、その組合が自治労に加盟するかどうか、などという問題は、政府が指示できるものではない。組合がどういう形で連合体を作って運動をすることが利益にかなうかは自ら判断するべきものであって、他者がそれを指示する能力はないし権限もないのである。したがって、民主党が何らかの「方向性」を示すということは理論的にあり得ないであろう。


むしろ、知事の指揮下に入るということが「二重構造」の原因なのであるから、それを解消しようとすれば、国税庁の職員のように完全に国家公務員にし、国の出先機関として社会保険庁の地方支部を扱わなければならないはずである。それは組合がどういう連合体に属しているかというような問題ではない。逆に、日本年金機構になれば非公務員になるのであるから、国家公務員である厚生労働省がそれをどうコントロールしていくのか、という二重構造問題は残るのである。


そもそも、国鉄や郵政のように、独立採算でやっていける事業体でなければ、結局のところ税金で歳入は保障されることになるのであり、民間会社同様の経営改善努力というものは生まれ得ない。モラル・ハザードの構造も変わらず、そこに費やされる公費のサイズも小さくなり得ない。そういう意味で、社会保険庁日本年金機構になろうが、歳入庁になろうが、広義の政府の一部門であり続けることは変わらないのであり、それを職員が非公務員になるから「政府が小さくなる」と「リバタリアン」が判断するというのは、どういうメリットがあるという理解に基づいているのかよく分からない。