日本の未来展望


たまたま、今日付けの毎日新聞朝刊を読んでから、このエントリを読んだので、ちょっと思うことがあった。


防衛大学校長の五十旗頭真氏が、日本の国際的プレゼンスの低下について触れていたからだ。五十旗頭氏は、現在の日本の国際的プレゼンスの低下の原因は、一言で言えば経済力の低下であると指摘した上で、しかしだからといって、日本人はあまりにも悲観的すぎる、としている。


日本人が比較対象とする米国や中国はあくまで例外的な大国であり、欧州各国を見れば、それほど大きな国でなくても、国際的にはそれなりの存在感を発揮している分野があると指摘している。シンガポールもしかり、とのこと。


結論的には、日本が経済力の低下を憂えて内政にばかり振り回されているとし、防衛予算+ODA予算という国際経費を増やさねばならない、としているのだが、ここでむしろ目を引いたのは、「下降局面に入っても、だからといってそのまま没落するか、引き続きそれなりに頑張るかは、まだ選ぶ余地がある」という主張だった。


で、冒頭のエントリに戻るわけだが、この冒頭のエントリはその直前のエントリとつなげて読んだ方がよいわけだが、日本の「信用」が落ちているというのは、要は日本の未来の発展可能性が低くなっているからだ、ということである。


finalvent氏は、日本には未来展望がない、と端的に指摘しているにもかかわらず、日本オワタなのか、というとそこはまだ白黒つかない、ともしている。未来展望がない≒オワタのような気がするが、そうでもないのは、これから日本で出生率が上昇して人口が増える可能性があるということを考えているのか。あるいはその前のエントリで指摘しているとおり、日本の生産性は低いことから(私個人としては、日本のホワイトカラーの生産性は低いと思うが)、これを上昇させる可能性があると言うことなのか。あるいは、経済力とは関係なく「オワタ」にはならない可能性がある(五十旗頭氏のように)、ということなのか。


私としては、これから「オワタ」と思って生きていく気はないので、何らか前向きに頑張るしかないとは思っているのだが、五十旗頭氏の前向き感とfinalvent氏の後ろ向き感(でも若者にはエールを!という姿勢)の背後にあるモノが、ちょっと気になった。