教育

前回の記事になんとコメントをいただいていて、それへの回答など、いろいろ考えてはいるのですが、まだ熟した形になっていない。


で、それを保留して、今日は簡単なメモ。

Hの場合は子供たちを育てるという視点からではなく、自分が子供たちから受容されるという視点から授業を行っていたようなので、教え手としてどうなのかという感じもするけれど、人間社会がそうであるようにその縮図である子供の社会もいろいろであって、子供の中には卑劣な者もいれば下劣な者もいる。


それを指弾し、糾弾するのであれば、教師である必要はなく、教師に求められている役割は更に一段高い視点からそれを指導してゆくということである。


むろん、困難に過ぎる仕事である。


しかし、だからこそ教師と言う職は敬されているのであり、俺はその困難な仕事を負うだけの覚悟がなかったから教師にはならなかった。



私は教職資格などは持っていませんが、やはりどのような場にも教え育てるという局面は生じるもので、深く考えさせられます。